村井長門守の墓

村井長門守(むらいながとのかみ)の墓

村井長門守の墓
【マップ位置 B7】

 

 現在伊深には「村井」姓の家が十数軒ありますが、寺に残された位牌から、織田信長に仕えた武将、村井貞勝(長門守)の末裔との説があり、数十年前までは一族そろって法要も行われていたそうです。その長門守を祀る墓が、別所の奥の少洞という洞の手前西の小山の中に建てられています。

 もとはこの下を通る里道の脇に墓標が祀られていましたが、数十年前に現在の場所に移設されました。

 400年以上も前の「本能寺の変」が何か身近に感じられる逸話です。

 

村井貞勝(長門守)(?~1582)

 安土桃山時代の武将。近江出身。織田信長に仕えた役人として筆頭格。信長が上洛してからは京都の民政に携わった。1573年からは京都所司代の要職にあり、1575年長門守に任ぜられた。本能寺の変のとき、信長の嫡子信忠に殉じ二条御所で討死した。