義民供養の石地蔵

義民供養の石地蔵

義民供養の石地蔵

【マップ位置 D8】

 

 伊深義民の事件については「記念碑群」の項で触れていますが、このときの佐藤家の領主は第三代の佐藤勘右衛門続成(信次)で、百姓たちの訴えをほとんど聞き入れず、冷たく対応したことが記録に残っています。

 この事件から約130年後の文化8(1811)年、第九代の佐藤美濃守信顕は「為濃州加茂郡伊深村陣屋代々之代官及惣百姓先祖代々有縁無縁一切諸精霊菩提」と刻んだ石地蔵(石地蔵高二尺八寸)を、字十王前(現在の旧伊深村役場前付近)に建立、更に文政7(1824)年、先祖の法要を営んだ際、村民先祖供養の名の元に禅徳寺において施餓鬼を行い、義民の霊を弔った、とあります。

 当時、ご法度とされていた幕府への直訴は、困窮した農民を救済するための命がけの行動であったことをようやく領主側も認め、実に一世紀以上経ってからではありますが弔いの姿勢を示したことは、この悲しい事件の締めくくりとして、わずかながらも救いにつながる行為であったといえるかもしれません。今でもこの地蔵様には絶えることなくお花が手向けられています。